「国旗・国歌」と「愛国心」
入学式や卒業式での国旗・国歌の強制を違憲とした東京地裁判決を受けて世の中が騒然となっている。
ちなみに、このワタクシ、この件にはなんとも思わない、ごく普通の小市民の一人なので、この裁判結果そのものをぼやくつもりもないし、いずれにしても、「国家・国旗」問題自体よく判らない。なお、このワタクシ、「君が代」のキーが合わなくて歌えない。カラオケのようにキーを変えてくれれば、歌くらいいくらでも歌うのだが。また、昔、長く外国に住んでいて久し振りに日本に帰るときに、空港で見た日本航空の白い機体に赤い丸に感動したこともある。
とりあえずぼやいておきたいのは、ネット上で騒然となっている人の意見に根拠のない意見が多いことである。
・「国旗・国歌」を敬わない国なんて日本だけで、世界に対して恥ずかしい、、、
本当にそうなのか。
アメリカでも、つい数年前に「国旗」を焼いた裁判で騒然としていたし、
このワタクシがカナダに住んでいたときも、国旗と国歌でよくもめていた。
カナダの国旗の楓は、カナダ西部ではほとんど見られない樹なので、「この国旗ではダメだ」という論争は今でも続いている。
フランスやイギリスでは、教育の場で国歌を歌うことはほとんどないし、そもそも移民にとってはどうでも良い話である。
・サッカーのときだけ歌っているくせに、、、
国歌を敬っていない人は、間違いなく歌っていないでしょう。
何よりもおかしいと思うのは、日本の国歌斉唱のときだけ神妙な顔をしているが、相手の国の国歌斉唱のときはダラけている選手や観客の多いことである。
里谷多英が長野で金メダルを取った際の国歌演奏&国旗掲揚のときに、帽子を取らなかったとかで一時問題になっていたが、そらそうよ、その頃までは、誰もそんなこと教えてなかったんだから。。。
また、すぐに「愛国心」と「非国民」という言葉が乱発されるが、そもそも「国旗・国歌」について偉そうにいう事と「愛国心」に何の関係があるというのだ。愛国心とかそんなことを考えたことがない人でも「国歌」を歌う人もいるだろうし、「愛国心」丸出しでも、「君が代」だけはイカンという人もいるだろう。しかし、WBCで日本が勝ったときに、「さすがは日本!」とほとんどの人が思ったであろうし、「北方領土」と聞くだけで「愛国心」がみなぎる人も多いはずである。
結局、騒いでいるほとんどの人が、たまたま最近起こった裁判の結果という事象だけをとらえて何か言っているに過ぎないような気がしてならない。「愛国心」なんて、「白黒」や「表裏」のような単純なものではないと思うのだが。
(この「国歌・国旗」裁判ではなく)裁判そのものについてだが、「裁判結果がおかしい」とか「まだ地裁レベルだから、、、」とか言っている政治家や偉い人もいるが、この国は一応とはいえ法治国家である。控訴したとしても、少なくとも高等裁判所が(どういう判決か判らんが)判決を出すまでは、現判決が判例であるはずである。それとも、三権分立していても司法の判決はどうでも良いということなのか。
一方、「日の丸」、「君が代」の起源がハッキリしていないにも関わらず前世紀末に法律(参照:「国旗及び国歌に関する法律(国旗国歌法)」)を作って国旗、国歌と決めたのだが、決まった以上は法に従う必要はあろう。(しかし、この法律の条文からすると、「強制しろ」とは書いてないな~)
そもそも、今回訴えた人は、国歌と国旗は認めるが起立や斉唱はしないということなのか、それとも、そもそも国歌と国旗に反対なのか。(訳が判らなくなってきた。。。)
もし「国歌・国旗」を認めないと言うことであれば、法律を変える働きをしないといけないはずなのだが。
実は、このワタクシだけではなく、みんな訳が判らなくなっているのではないのか。。。(明らかに、ネット上の意見はそういうものが多いのだが)
入学式や卒業式での国旗・国歌の『強制』について争い、『強制』を違憲とした判決なのだから、その判決自体は間違っていないような気もするな~。
国旗国歌法による「国旗・国歌」がおかしいという判決なら明らかにおかしいが、「強制」について争ったわけだから、「基本的人権」や「思想の自由」という観点から考えればどうなるのだ。 、、、というか、その判断を裁判所が出したのだから、少なくとも次の判例がでるまでは、法治国家である以上、現判例に従わないと、「美しい国」どころか「見苦しい国」になってしまいそうである。(しかし、学校組織での組織に従わないボイコットやサボタージュもいかんな~)
いずれにしても、国旗と国歌の起源を明白にして、もう一度作れば良いとは思うのだが、現国歌・現国旗賛成派(強制派という意味ではない)からすると反対だろう。とはいえ、誰も起源を明確にはできない以上、このワタクシが勝手に作ることにする。
国旗:真っ白(真っ赤でも良いが)
国歌:「君が代」から歌を抜いて演奏だけにする
そして、この議論も、時間とともに忘れ去られ、卒業式のたびに蒸し返されるだけの議論になるのだろう。
誰しもが「国旗・国歌」や「愛国心」を思う前に、日々の生活で必死なのである。
少なくとも、このワタクシは、この国を愛している。それは、国旗や国歌を敬わないと法的に表現できないのか。だとしたら、そんな国は嫌いになるであろう。それは、国旗や国歌が国民総賛成の新しいものになっても同じである。
この文章を読み返してみると、意見がどうも「国旗・国歌反対派」によっているような印象を自分でも受けてしまうが、このワタクシは、賛成でも反対でもない。よく判らない単なる小市民である。(よく判らないのであればこんな文章は書くな、と自分に言いたくなってきた)
(「国歌」関連)
「ラーメン屋のアメリカ人」
「愛国心と理性の間で」
「君が代の替え歌広まる」
「W杯悪態ランキング」
「中国、カラオケを検閲」