ガッツポーズと礼儀とハンカチ王子
産経新聞に、「礼儀を忘れたガッツポーズ」なるコラムが載っていた。
要するに、ガッツポーズの乱発を戒めているのである。
なぜ新聞がそんなどうでもよい事をコラムに書いているのかはよく判らなかったのだが、一通り読んでみて腑に落ちないことが多かった。つまり、ぼやきどころ(=ツッコミどころ)が多かったのである。
もう一度読んでみた。
目が点になった。
これを書いたのは産経新聞ではなく、この前の「半ズボンおやじ」(参照:「こんな文章で「半ズボンはダメ」と言われても。。。」)ではないか。
「半ズボンおやじ」と判って読んでいたわけではないので、先入観を抜きにしてどこが腑に落ちなかったのかを先に述べたい。
まず、「礼儀」という言葉と「ガッツポーズ」という和製英語のアンバランスさである。
「礼儀」というのは、どちらかというと我が国の古来の精神や儒教の精神に通じるものがあるはずだ(よくは知らんが)。一方、「ガッツポーズ」は、明らかに外来語の合成語なので、そもそもこの二つの単語を同じ文で語っていることに無理があるのではないのか。
「礼儀を忘れた振る舞い」とでも言われればまだ判るのである。それでは、「ガッツポーズ」を(例えば)「振る舞い」の一つとできるだろうか。「振る舞い」は通常ある型にはまった動きを指しているので、感情とともに突如湧き起こる「ガッツポーズ」とは別物であろう。
要するに、そもそも「ガッツポーズ」と「礼儀」はまったく違う次元の話である。
次に「今年の高校野球は例年になく面白かった」の部分だが、本当にそうなのか。確かにそうかもしれない。終盤の逆転劇もしくは逆転できそうでできない試合もあったし、両チームともに点が取れない試合もあった。しかし、、、このワタクシ、毎年高校野球のほとんどの試合を見ているが、試合内容という意味では毎年同じようなもんである。確かに、決勝戦は再試合となったくらいだから「面白かった」が、全ての試合において一概に例年より面白かったとは思えない。
今年の高校野球がいつもと違ったのは、「三連覇」や「春夏連覇」という偉業のかかった大会であり、闘病中の王監督の母校の出場もあった。それに、一回戦から春優勝の横浜高校が大阪桐蔭とぶつかるなど、いろんな意味で話題性も大きかった。つまり、マスコミの取り上げ方がいつもより少し大げさになっていたから、なんとなく面白かったと思っているだけではないのか。
もっと言うと、WBCでの日本の優勝もあったりして、なんとなくいつもより野球に注目が集まっただけという気がしないでもない。
さらに、「米大リーグではホームランを打ってガッツポーズをすると、相手ピッチャーがプライドを傷つけられたとばかり、次打席でブラッシュボールを投げてくることがしばしばある」とあるが、そんなことは「しばしば」はない。このワタクシも大リーグは30年近く見ているが(参照:「ぱんちょな恋の物語:新庄を知らないと、、、」)、ガッツポーズしなくても、ホームランを打たれたら次の打席で際どいところを突いていく(実際には、当てにいく)のは当然である。たまたま、試合展開等でガッツポーズが出ることもあろう。とはいえ、ガッツポーズに対してのブラッシュボールという解釈はおかしい。そんなことをして、出場停止とかになる意味がまったくない(もちろん、日本よりは若干気性の荒い選手が多いのは確かだが)。 おまけに、だいたいにおいて、ブラッシュボールが飛び出すのは大味な試合展開のときである。そんな試合でガッツポーズする選手はアホである(某日本人選手はそうであったが)。
一体、どこでこういう知識を得たのだ? たぶんヨネスケあたりが言っていたのであろう。
そして、「日本のプロ野球選手はガッツポーズを安売りする。大量得点差があってもホームランを打てばガッツポーズをする」とあるが、どこで安売りしているのだ。
そんなことをしているのは、新人選手とか、10年目で初ホームラン打った選手とか、たまに本当に自分の会心の当たりが出た選手などのケースだけであろう。ひょっとしたら、毎日6試合を欠かさず見ているこのワタクシが(参照:「ぱんちょな恋の物語:宇宙の中のちっぽけなこのワタクシ」)、一瞬見落としたシーンをおっさんが見ていたかもしれないが、それでは安売りとは言えない。
最後に極め付けである。
「今大会、ガッツポーズが一番似合ったのは早稲田実業の斎藤投手であった」とあるが、確かにそれは否定はしない。
しかしだ、曲がりなりにも作家を名乗る人間が、これだけガッツポーズを一刀両断しているにも関わらず、最後に、誰もが思い付きそうな「オチ」で締めくくるとは一体どういうことなのだ?
作家の(自分本位の)文章をここまで読まされて、「オチ」が一般人と変わらないというのがまったく理解不能である。作家が、「起承転結」の「起」で「例年になく面白かった」と書くくらいなら、「結」では「三回戦で敗退した○△高校の◆☆クンが今にも負けそうな1点差の9回裏二死に代打で出てきて、ヘッドスライディングでセーフになったあとのガッツポーズは最高だった。こういうときのガッツポーズほど人の心を動かすものはない」というくらい言ってもらわないと。斎藤投手のガッツポーズが「結」なら、そもそも「起」、「承」、「転」が違うのではないのか。
このワタクシが書いたこのくだらない文章なら「結」がいきなり斎藤投手でも誰も文句は言わんだろうが。
おまけに、そもそもガッツポーズはイカンのではないのか。
個人的には、勝った方の高校の校歌を、敗者を並ばせて聞かせるなんて、ガッツポーズの乱発よりも非教育的で、対戦相手への思いやりを忘れた無礼な行為に当たるような気がしてならない。
このワタクシのこのくだらない文章では、最初に「先入観を抜きにしてどこが腑に落ちなかったのかを先に述べたい」と書いていながら、途中から先入観丸出しになっても誰もどうとも思わんだろうが、金を取っている新聞のコラムとして作家が書いた文章なんだから、我々素人に参考になる文章を書いてもらいたい。
また、この「あおのり世相をぼやく」ではいつも同じ事を書いてしまうのだが、人間たるもの、知っていることに対するウソは見抜けても、知らないことは、紙に書いてあったり、テレビから流れてくると、無条件に信用してしまうものである。ウソは、ガッツポーズよりもイカン。
そして、「礼儀を忘れた」のは球児ではなく、本当は大人なんじゃないのか。
(引用)
イザ!:【コラム・断】礼儀忘れたガッツポーズ-スポーツニュース
今年の高校野球は例年になく面白かった。何試合もテレビの前に釘付けとなった。そんなこと、何年ぶりだろう。
ただ、観戦していて気になったのは、球児たちのガッツポーズである。サヨナラ勝ちのような劇的勝利の瞬間ならともかく、ヒットを打つたび自軍ベンチに向かってガッツポーズを取る。中には四球やエラーで出塁しても取る選手がいた。ホームランでも打とうものなら、ガッツポーズで飛び跳ねながらベースを一周する。はしゃぎ過ぎはみっともない。
本紙連載中の「群れないニッポン」第5部「武道の可能性」の中で、全日本柔道連盟の上村春樹専務理事は柔道選手のガッツポーズについて、「ルールではなく、教育として相手への感謝の気持ちは持つべきだ」とコメントしている。
スポーツ競技において、むやみやたらなガッツポーズは対戦相手への思いやりを忘れた無礼な行為に当たると思う。米大リーグではホームランを打ってガッツポーズをすると、相手ピッチャーがプライドを傷つけられたとばかり、次打席でブラッシュボールを投げてくることがしばしばある。
日本のプロ野球選手はガッツポーズを安売りする。大量得点差があってもホームランを打てばガッツポーズをする。それを見た高校球児が真似をするのも無理はない。だが、高校野球連盟が「試合中のガッツポーズは控えめに」と通達を出してもよさそうなものだ。
今大会、ガッツポーズが一番似合ったのは早稲田実業の斎藤投手であった。苦闘の末、優勝の瞬間に感極まったガッツポーズは実に美しい。(作家・吉川潮)
<産経新聞>
(引用終)
コメント (2)
半ズボンにしても、ガッツポーズにしても、
どう感じるかは、その人の感性の問題ですよね。
この人はご自分の古い感性にそぐわないものは許せないのでしょう。
私なら「ああ、今はそういう時代なんだな」と思います。
柔軟性のない人は、年をとると早くボケます。
投稿者: ひまひま | 2006年08月31日 15:45
日時: 2006年08月31日 15:45
すいません、、、早くボケそうです。
肝に銘じるようにします。
投稿者: Aonori | 2006年09月01日 03:14
日時: 2006年09月01日 03:14