桑田現役引退後は因縁の早稲田大へ??
プロ野球シーズンも終盤に差し掛かり、粛清の嵐が吹きまくりそうな読売では桑田の去就も賑やかになってきた。
以下の記事によると、当の桑田は、順番は逆になってしまったが、引退後早稲田大学入りを考えているらしい。(ほんまかいな)
桑田といえば、早稲田大学受験のために東京に移動している頃にドラフト会議があり、気が付いたら相棒の清原が希望していた読売に一位指名されていた、といういわくつきのオッサンである。
それ以来、早稲田大学の野球部は、PL学園から学生を取っていないというらしいから、早稲田側は相当頭にきているのであろう。
当然、男・清原も頭には来ているだろうが、それを敢えて言わないのが清原のスゴイところであるとも言える。
この経緯に関して、桑田は本当に読売と密約をしていたのかどうかは判らないが、読売に入ってしまった以上、世間は桑田を悪者としかみていないであろう。(読売ファンを除く)
このワタクシが早稲田大学の総長であれば(そんなことはありえないが)、桑田は入学させない。。。
小市民の呟きである。。。
(追記)
、、、とはいえ、本当の桑田真澄は世に言われるように、真面目な野球人なのだろう。
引退後に大学進学を考えるプロ野球選手なんて見上げたものである。
しかし、あのダーティなイメージはどうしても拭い去れない。すべてはあのGのユニフォームを通して彼を見ているからなのだが、あのGのユニフォームを脱いだ後の桑田をどういう目で見れるのだろうか?
(桑田関連)
「桑田真澄の最期」
(引用)
桑田 現役引退後“因縁”の早大進学へ - livedoor スポーツ
巨人・桑田真澄投手(38)が現役引退後、早大への進学を希望していることが5日、分かった。桑田は85年のドラフト会議を前に早大進学志望を表明。しかし巨人から1位指名され、急転入団。物議を醸した経緯がある。今季は現時点で1勝止まり。来季の去就に関しては極めて微妙な立場に立たされている。仮に今季限りで引退を決断すれば来春にも「早大生・桑田」が誕生、22年越しの夢が実現する。
桑田にとって早大進学は、決して突拍子のない話ではない。「野球が落ち着いたら」という前提で、桑田は「やっぱり勉強をしたいから。ちょっと順序が逆になっちゃうけどね」と早大進学への思いを口にした。「順序が逆」とは、何より自身の胸の内に21年前の出来事が色濃く残っているからにほかならない。
85年のドラフト。PL学園のエースとして活躍していた桑田は、早々と「断固進学です。早稲田に行きます」との希望を打ち出していた。願書も提出していたが、11月20日のドラフト会議で巨人が1位指名。結局受験はせず、そのまま巨人に入団した。一方で巨人入りを熱望していたKKコンビの清原(現オリックス)は西武からの指名に涙。当時は桑田と巨人との密約説もささやかれた。
しかし桑田が早大に強いあこがれを抱いていたのは事実。小学校6年生の時の作文「ぼくの将来の夢」にも「強い高校から早稲田大学へ行くのが希望」と書いたほどだ。高校時代も学業優秀で知られた。そのPL学園から巨人を経て早大へ。まさに「順序は逆」ながら、22年越しの夢実現へ動くことになる。
問題はそれがいつになるのか。「野球が落ち着く」はもちろん引退後を指すが、現在の桑田は微妙な立場に立たされてもいる。今季はここまで1勝止まり。4月13日の広島戦(東京ドーム)で2年ぶりの白星を挙げたが、右足首捻挫で4月29日に出場選手登録抹消。以降は2軍暮らしが続いている。1日のイースタン・日本ハム戦(ジャイアンツ球場)に先発した際には、滝鼻卓雄オーナー(66)がわざわざ観戦。今後の去就については同オーナーは「それはまだ言えない。シーズンも終わってないし」としたが、年齢的な部分も含めて厳しい状況にいるのは間違いないだろう。
関係者には「心理学を学びたい」とも漏らしている。入学には一般入試、社会人入試に加え、人間科学部には「eスクール」と呼ばれるインターネットを利用した通信教育課程もある。果たして「早大生・桑田」が誕生するのはいつか。本人は「じっくり待つ」と1軍登板に備えて2軍で練習に打ち込んでおり、加えて通算200勝への強い思いもある。来春か、それとも…。いずれにしろ桑田の今後には注目だ。
≪2軍で調整中≫2軍で調整中の桑田は、ジャイアンツ球場でランニングを中心に汗を流した。1日のイースタン・日本ハム戦(ジャイアンツ球場)では先発し5回9安打3失点だったが「翌日に張りがきたからよかったよ。これまでは2日後だったから。あとはじっと待つだけだね」と話した。次回登板は未定だが、10日に1度のペースで2軍戦で先発し1軍昇格を狙う。
2006年08月06日 06時01分
(引用終)