ノムラの考え
このワタクシは、ノムラの考えを崇拝している。
結局阪神の選手はノムラの考えを最後まで理解できなかったようである。楽天の選手が理解しているのかどうかは判らないが、あの頃の弱くても有頂天の阪神の選手とは違い、崖っぷちの彼らには、うまくすればノムラの考えは浸透できるかもしれない。
今回の記事で、もっとも印象に残ったのは、最後の「男としての理想をいえば、もう一回結婚したいね。ベルリンフィルハーモニーの指揮者のカラヤンは3回結婚説を唱えている。最初は年上の女性。次は自分が世界で一番美しいとほれた若い女性。最後は看護婦さん。看護婦さんがそばにいれば、年をとってから安心して暮らせる」という件。おまけに、野村監督は、看護婦さんを見ると、思わず見つめてしまう、、、らしい。
ノムラの考えを崇拝するこのワタクシとしては、是非とも監督の教えに習って三回の結婚を目指したいところである。
その前に一回しろって??
(引用)
イザ!:【人語り】楽天監督・野村克也(71)-スポーツニュース
≪技術超える哲学≫
「自分が変われば相手が変わる。相手が変われば心が変わる。心が変われば言葉が変わる…」
プロ野球の監督が、選手に人生哲学を説く。12球団のなかで、哲学を説くのはこの人ひとりだ。「そんな難しいことを聞いても分からない。野球と関係ないじゃん」。楽天の選手は当初、反発した。
野村は「野球選手である前に道徳、礼儀、礼節をわきまえた社会人であれ」と人格形成を重んじ、その上で社会に通用する知識も身に付けなければならないと考えている。茶髪、ひげの厳禁もこの一環だ。
平成2年から9年間、ヤクルトの監督として3度日本一に導いた。阪神に移って監督を3年間務め、社会人の監督を経て、今年から楽天の監督に就いた。本拠地仙台へ単身赴任。ホテル住まい。数少ない休日は、ふらっと散歩に出かけ、「書店に寄って本を探し、女性との会話を楽しんでいる」。
繁華街の国分町を歩きながら選手を思う。
「楽天の選手には、考えて野球をやったことがないという者がいた。あぜんとした。だから、考える野球とはどういうものか、分かってもらうために、話を始めた」
面白くなかったら、眠っていてもいいと断って話を始める。
「選手には理解してもらわなくても結構。世の中に、そんな考え方もあるのかと感じてくれればいい。何年かたって、ああ、あの時、野村という男はそんなことを言っていたなと思いだしてもらえれば本望だ」
内容は多岐にわたる。徳川家康、吉田松陰、王陽明ら時代を築いた歴史人物の名言、組織論、心理学など。野球選手にとって技術はプレーをする手段ではあるが、目的、価値は技術を超えたもの。それが大事なのだという説法だ。
◇
話は春先のキャンプからスタートし、「一年間ずっと続ける」長いテーマである。試合のあるときは戦術分析、対策を展開し、試合前の準備と試合後の反省で厳格な説明をする。試合を離れた全体ミーティングでは、野球技術を離れて哲学を説く。試合開始前の円陣で、作戦を指示せず人生論を持ち出してしまうこともある。
悲しいかな、選手は人格形成の大切さを十分に分からず、肝心の野球理論にもついていけない。笛吹けど踊らず。野球技術が他チームより劣るなら頭脳で勝負。そうはいっても選手の意識改革はなかなか進まない。
野村哲学は、長い間の勉学の蓄積から来ている。
京都・峰山高から南海(現ソフトバンク)に入って3年目。捕手のレギュラーの座をつかんだころだ。書店で心理学の本を買い込んだ。
「打者の心理が読めたら、リードしやすいだろうな。狙い球を外せばいいのだから。それを知ろうとして先輩やコーチに聞いても、誰も教えてくれない。それじゃ、自分でやるしかないと、本に求めた」
しかし、買ったのは本格的な心理学。難しすぎた。10ページ読んで、あきらめた。そこで試合の中で心理学の自習に挑んだ。打者のちょっとした動きから、次に何を狙っているのかつかめるようになった。こうして球界一の洞察力を身に付けた。
これが、ベストセラーになった野球理論書「ノムラの考え」の礎になり、選手としての大きな武器となった。三冠王をはじめとする数々の勲章にも結びついた。
◇
選手としては「生涯一捕手」として50歳までプレーを続けたかったが、これは挫折した。45歳、現役最後の年に夫人の縁で、作家、草柳大蔵に会った。
「言葉の一つ一つに重みがあった。どこからあんな豊富な知識と文の才能が出てくるのか、ただただ感心するばかりだった。とにかく、本を読みなさいといわれた」。野球選手は一社会人である、という人生哲学はここから始まった。
「現役時代の最後に出した本『敵は我にあり』は、書き上げるのに半年かかった。原稿を草柳先生に見てもらったら、赤字を入れて直してくれた。そのうち、赤が入らなくなった。赤が入っていませんと言うと、入れる必要がないから入れないのだ、といわれた」
草柳からはまた安岡正篤(やすおか・まさひろ)の「活学」を教わった。活学は、学問を広く行動に生かしなさいという人生訓。安岡は儒学の大家で吉田茂、佐藤栄作、大平正平ら歴代首相のご意見番的存在でもあった。冒頭の言葉は安岡のものである。
今季の開幕戦では、吉田松陰の座右の銘という「堅忍果決(けんにんかけつ)」をあげた。弱者である楽天は、負け続けても我慢強く、耐え忍んで時を待ち、いったん決心したら果敢に攻める。その心構えで-と説いた。
夏が到来し、最初は馬耳東風だった選手が、わずかずつ考える野球ができるようになった。意識改革はプレー改革につながる。セ・リーグとの交流戦では、4カード連続勝ち越した。チームとしての戦力が整うまで3年はかかる。球団フロント、ファンはそこまで我慢できるかどうか。
ぼやき監督と揶揄(やゆ)されるが、実は冗談好き。こんな願望をささやいた。
「男としての理想をいえば、もう一回結婚したいね。ベルリンフィルハーモニーの指揮者のカラヤンは3回結婚説を唱えている。最初は年上の女性。次は自分が世界で一番美しいとほれた若い女性。最後は看護婦さん。看護婦さんがそばにいれば、年をとってから安心して暮らせる」。看護婦さんを見ると、思わず見つめてしまう。 =敬称略
<産経新聞>
(引用終)