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検察の人間性

 今年の2月、東海地方のある県で、95歳の父が重い障害を持つ56歳の三女を絞殺するという事件があった。

 犯人の父は、10年前に妻が病死して以来、脳性小児麻痺で障害を持つ三女と二人暮らしであったが、自分が腰を痛めて立てなくなったことで将来を悲観し、絞殺してしまったとのことである。自分もホルマリンを飲んで自殺を図ったものの、未遂に終ったらしい。
 9月に行われた論告求刑公判で、検察側は「一時の激情にかられた、短絡的で身勝手な犯行」として懲役5年を求刑したとのことである。
 
 このワタクシは検察に言いたい。
 これが、「一時の激情にかられた、短絡的で身勝手な犯行」なのか?
 キミらのほうが、「一時の激情にかられた、短絡的で身勝手な求刑」をしているとしか思えない。
 いつも思うのだが、検察制度は、犯罪者が隠していることを暴いたりするためには必要な制度であると思うが、求刑までする必要はまったくないと思う。検察が調べたことと犯人の言い分を聞いて、裁判官が刑の重さを決めれば十分ではないか。そもそも、求刑通りの判決なんて聞いたことがない。
 過去のいろいろな求刑を見ていると、警察が捕まえてしまったあとは、検察はひたすら刑を重くするために頑張っているとしか思えない。よって、無罪の可能性の高い人間までが、長く拘置されてしまう。検察の証拠集めのために、日本の裁判がやたらと長くなるのは、極めて時間かつ血税の無駄づかいである。

 判決は明日10月09日に言い渡される。
 (どんな結果となっても、検察が控訴しないことを祈りたい)





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