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精神状態と殺人

 あおのりは、社会的な大事件はボヤかないことにしている。あおのりがボヤかなくても、誰かがボヤくからである。基本的には、誰も取り上げないような事件についてボヤくのが性に合っている。

 しかしながら、今回の「池田小学校事件」に関しては、ボヤいて欲しいとのファンからの希望が多数寄せられたので、敢えてボヤくことにする。
 とはいえ、誰もがボヤくようなことをボヤいても仕方がないので、取りあえず(ボヤいたことになるかどうかは分からないが)思ったことを記すことにする。

 精神病院への通院歴のある人間や精神に障害を持つ人間の犯罪は許されるという法律は少年法と同等に意味不明である。日本史の中で意味を持った時代もあるのかも知れないが、少なくとも現在においては間違っているとしかいいようがない。
 精神障害者の人権が保護されるなら、以下の点において矛盾が生じる。
1)犯人が凶行におよんでいる最中に警察が射殺した場合。
⇒間違いなくその射殺は正当化されると思われる。この場合でも精神障害者が犯行を行っているときは殺してはいけないというのであれば、今回の犯人が無罪となることも理解はできるが。
2)精神障害者のほとんどは犯罪を起こさない。
⇒当然ながら精神障害者のほとんどは犯罪を起こさない。精神障害者でなくても(ないと思われていても)犯罪を起こす人間はいくらでもいる。後者の方が圧倒的に多いはずである。
人権は(この国では)擁護されるべきものではなく、尊重されるべきものである。精神障害者で犯罪を起こさない大多数の人は、犯罪を起こす起こさないに関わらず、既に人権が擁護されてしまっている。一方、精神に障害がない(と思われている)人の人権は始めから擁護されていない。これは極めて不平等である。今後、犯罪を起こす人間は、精神病院に通院してから犯罪を起こせば罪は問われないというのか。

 そして、殺人を起こす人間は、精神に障害があろうとなかろうと、精神的に異常な状態にあるはずである。普通の精神状態で殺人を犯すような人間が出てきたらこの世も終りである。
 (医者に通院していたことで)精神障害者とされる人を擁護するのであれば、突発的に精神状態が異常になり殺人を起こす人間も擁護されなければおかしい。

 いささか、逆説的な意見を述べさせていただいたが、結局のところ、殺人犯の精神状態を議論すること自体が時代遅れであり、殺人犯は同一基準で裁かれなければならない。なにも一律死刑にしろと言っているわけではない。単に犯した罪だけをみて裁いて欲しいのである。




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